ふみづきの三女は、先天性CMV(サイトメガロウイルス)感染症です。
「え、なにそれ?聞いた事無いや、どんなウイルス?」
そう思われる方も多いかもしれません。
聞きなれない名前ですよね。きっとその存在すら知らない方は、まだまだ多いと思います。
私も妊娠中、このウイルスの啓発ポスターが産婦人科に貼られていて「ふーん」と思う位にしか目に留めていませんでした。

まさか「自分が当事者になるわけない」と、思っていました
そんなまさか…を抱えてながら生まれてきた、我が家の三女のことについて、
私自身も心の整理をしながら、触れていこうと思います。
初めての帝王切開で無事に生まれた三女
三女は、雪の降る冬の寒い日に、小さな体で大きな産声をあげました。
36週を過ぎても横位(本来頭が下を向いておかないといけないのに横向きになっていた)が治らず、強い前駆陣痛も起きていること、臍帯(へその緒)の場所や私の高血圧もあって、早めに産む事になり入院しました。
その翌々日、帝王切開にて三女は37週1日で出産となりました。
体重は2500gにギリギリ届かず「低出生体重児」となりましたが、産声も大きく手足もよく動かしていて、とっても可愛い元気な印象でした。
助産師さんや看護師さんからも「元気に生まれてよかったね!」と言ってもらえて、私は母子同室になる術後3日目までには体を早く動かせるようにならなきゃ!とベッドから動く練習をしていました。
産後の様子は長女・次女と変わらず
そうこうしていると、産後2日目に「黄疸の数値が高いので光線治療をします」と告げられました。
私は「やっぱり…わかりました」と治療をお願いしましたが、この時は全く心配はしていませんでした。
というのも、長女も次女も黄疸の数値が高くて光線治療をしていたので「うちの子達はみんなきっとそんな体質なんだろうな~」位にしか考えていませんでした。
そうして迎えた夜、「明日から母子同室だなぁ。大丈夫かな。まだ傷が痛むんだけどなぁ…」と自分の身体の事ばかり考えて、少し不安を感じながらも頑張るぞ!と母子同室に備えていました。
小児科医からの呼び出しで、私の世界が変わった
産後2日目の消灯時間間際。
新生児室の看護師さんが部屋に入ってきました。
すると、
「ふみづきさん、寝る前にごめんなさいね。
実は、小児科の先生から赤ちゃんの事でお話があるそうなんです。
車椅子でいいので一緒に行きましょう。」
と言われました。
私は「はい、もしかして黄疸の事ですか?」と聞くと
「えっと、先生から詳しく話されますので。今から新生児室に行きましょう」
と口を濁されました。
不安を抱えながら新生児室へ
(え…まさか違うのか?何が起きた…??)
この時点で正直、何かまずいことが起きているのは想像できました。
「わかりました。行きます。」と答えて、ざわつく胸の内をひとまず押し込めて、痛むお腹を擦りながら車椅子に乗りました。
そして初めて入った新生児室には、三女が保育器に入れられてすやすやと眠っていました。
でも、横にいた小児科の先生は、少し強ばった顔をしていました。
先生からの説明。そして三女の容体は…
「初めましてお母さん。本日の宿直医の〇〇です。赤ちゃんの状態についてお話があります。」
「はい。お世話になります。どうしましたか?」
「今日の夜の様子を見ていて、呼吸を少し苦しそうにしています。
また、白い便が出ていて、エコーをしたところ、肝臓が腫れているのがわかりました。」
「え!?肝臓?白い便って…」
この頃の私の知識の中にあったのは「赤ちゃんが白い便が出た場合はまずい」という、ざっくりとしたものでしかありませんでした。
「ここでは詳しい検査が出来ません。大きな病院へ移って、なぜこのような状態になっているのか、詳しく調べた方がいいです。
直ぐに手配をして転院した方がいいので、今から救急車に乗って赤ちゃんを搬送します。いいですか?」
「えー……(言われてることが分からない)」
私が状況の処理に追いつかず、ぽかーんとしているのに気付いて、隣にいた看護師さんが
「突然のことでびっくりしているよね。ごめんね。先生の説明、今ので分からないことはあった?」と言って、背中をさすってくれました。
ハッと我に返ると、状況のまずさにみるみる血の気が引いていく感覚がしました。
「あの、なんでこんな事に…?この子は大丈夫なんですか?」
「今の時点では、どこが悪いのか詳しい事は分からないです。とにかくまずは検査をすることを強く勧めます。ご家族にも、伝えてもらえますか?」
「わかりました…。赤ちゃんを助けてください。お願いします。」
そう返答をするやいなや、先生や看護師さん、助産師さんが一気にバタバタし始めました。
その姿を見ていて、(あぁ、赤ちゃんと私はもう会えないのかもしれない…)と悲観的な気持ちになり、涙がポロポロ出てきました。
突然の搬送、そして離れ離れになった母子
産後すぐのタイミングで、不安な事が起きれば母体への心身のダメージは計り知れません。
そして何より、母子同室前で、まだ抱っこすらまともにしていない。母乳もあげられていない。
明日から一緒に過ごすはずだったのに…どうして??と、悲しさと混乱が渦巻く私は、搬送準備にバタつく新生児室を、ただぼんやりと傍観している事しかできませんでした。
②へつづく…▶︎
今後の三女のお話について
生まれてすぐ、思いがけない病気が見つかって、大きな病院へ運ばれた三女。
NICUの保育器の中、ちいさな体にたくさんの管がついていた姿は、今も忘れられません。
「どうしてこの子が…」
「私のせいで、本当にごめん」
そんな気持ちが渦巻いた日もたくさんありました。
でも、同時に「病気を抱えながら、力強く生まれてきてくれてありがとう」と心から思ったことも、何度もありました。
今現在、三女は家族のなかで元気に育っています。
でも抱えている病気については、定期的に通院しながら投薬治療をしています。
これから発覚する心疾患や難聴については、定期健診を受けながら経過観察中です。
けれど、三女は私たちのそばで笑ってくれています。
それがどれだけありがたいことか、毎日教えてくれています。
そんな三女の事は、今後も大切に記していきたいと思っています。
そしてたくさんの方に、こんな病気があるんだな、と知っていただくきっかけになればいいなと思います。
また、同じ病気を抱える子ども達やそのご家族にも、届けられたらいいなと思います。
頑張っている三女の事を、どうか見守って頂けたら嬉しいです。
心配がゼロになることはきっとないけれど、それ以上に、たくさんの愛おしさと、気づきと、感謝に出会わせてくれる存在に感謝です。
これからも、そんな日々をこの場所に綴っていきます。
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