新一年生の親になった皆さんは、わが子にどんな思いを感じていましたか?
「楽しい学校生活を送ってほしいな」「友達と仲良くしているかな」
「今日は給食ぜんぶ食べれるかな」「不安な気持ちはないかな」…などなど
きっとこんなたくさんの思いを持って、ピカピカのランドセルを背負った背中を
見送っているんじゃないでしょうか。
わが家の長女は今年春、小学校へ入学しました。
そんな長女の朝の登校のことについて、少し話をしていこうと思います。
はじめに|新一年生の長女の変化
6月中旬、家の前から学校まで、一人で歩いて行けるようになりました。
小学校に入って数ヶ月、少しずつ日々のリズムができてきて、
朝「いってきます」と言って出ていくことができました。
そんな姿に頼もしさを感じながら、何よりも長女の成長が嬉しかったです!
でも、
その数日後、娘の口からこんな言葉がこぼれました。
「一人で歩いていけたけど、途中で寂しくて泣いちゃったんだー」
その一言に、私は思わず言葉を詰まらせてしまいました。
涙が出たことを伝えてくれた長女の思い
「歩いて行けたじゃん、すごいことだね」って私が言ったとき、
長女はちょっと照れくさそうに、でも少し顔を曇らせて言いました。
「でもね、途中で寂しくて泣いちゃったんだよね~」
その言葉には
がんばったこと、寂しかったこと、
そしてそれでも前に進んだ勇気がぜんぶ詰まっていました。
きっと長女は、まだたくさんの心細さを感じている。
歩けるようになったからって、心の準備が同じスピードで進むとは限らない。
そう感じて、泣きながら歩いたその小さな背中が切なくて…
なんとも言えない気持ちになりました。
朝のひとことに、揺れる私の気持ち
そして今朝も、長女は言いました。
「今日は車がいいなあ…だめかな?」
小さな小さな、つぶやきでした。
でも、きっと長女なりに
「がんばってるけど、心はまだ少し不安なんだよ」と
伝えていたんだと思います。
それでも私は、
「そっか…歩くの大変だよね。わかるよ。」
「でもね、あなたはきっと歩けるよ。大丈夫」
と背中を押しました。
長女はその言葉に、静かに頷くと、ランドセルを背負って出かけていきました。
そして、少し寂しそうな顔で歩いていく姿を見送り――
その瞬間が、実は私にとってもとても切ないものでした。
「これでよかったのかな…」
「無理させちゃってないかな」
心の中で何度も問いながらも、「親がしっかりせねば。背中の押し時だ」と
自分を奮い立たせる朝でした。
でも、やっぱり――
少しだけ申し訳ない気持ちも、感じずにはいられませんでした。
それでも、「泣きながらでも歩けた」ことには大きな価値がある
娘はちゃんと、前に進む力を持って、歩み始めています。
そして泣いてしまっても、それを言葉にして
伝えてくれている力もあるんです。
だから毎朝ちゃんとランドセルを背負って、
自分の足で歩いていくことができたんです。
それだけで、もう十分にすごいことで、大きな成長を遂げています。
だから私のできることはやっぱり「信じて背中を押す」ことだと思っています。
私たち親にできることは、たぶんそんなに多くない
小学生になり、世界がまた一つ広がった長女に、
親としてできることはどんどん狭まってくるかもしれません。
家族よりも、友達が大切になることだってあるでしょう。
そんな中でも「心のつながり」が途切れぬように、今できることを模索しています。
この家が長女の安全基地であり続けるための努力を、家族でしていきたいと思います。
学校から帰ってきた長女には
「今日も本当にがんばったね」
「辛いことがあったら泣いてもいいんだよ」と
やさしく伝えることも、心の支えになると思っています。
おわりに|背中を押す勇気を親も持っていたい
子どもの成長って、本当に嬉しいことです。
でも、同じくらい「これでいいんだろうか?」という葛藤が生まれたり、
切ない気持ちが生まれるものなんだと、今あらためて思います。
「泣いちゃったんだ…」と私に言うことができた長女の成長と強さ、
そして涙ごと受け止めてあげたいと思いながらの、自分の中の揺れと迷い。
全部ひっくるめて、私たちの新しい生活は始まったばかりです。
今日もまた、「いってらっしゃい」と見送る朝がきました。
長女は、振り返ることなく、まっすぐに歩いていきました。
きっと私たちは、大丈夫。
この時間は、いつか大切な記憶となり、妹たちにとって憧れの姿になる。
そう信じて、私は今日もそっと背中を押します。
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